土呂八幡宮

岡崎市福岡町(平成18年11月23日)

 この神社はJR東海道本線・岡崎駅の南約2km、県道43号線と東海道本線に挟まれた地域に鎮座しています。岡崎の南一帯を「土呂(とろ)」といいますが、「土呂」の語源は、「都路(とろ)、都に通じる道」とか、「水の波なく静かなる形容にして、瀞(とろ)の音浄くして、垢なしの意義あり(土呂郷土志)」など諸説が有り、又、表記も、「土呂」、「土路」、「土羅」、「都路」などさまざまな様です。境内は広く起伏があり鎮守の杜が豊かで、その中に社殿、境内社が点在しています。ゆったりと子供を遊ばせるには適当な場所らしく、子供連れの方達を参道や境内で見かけました。又、岡崎の石工さんが本格的に狛犬を彫り始めた江戸時代末期に造られた、世界的指揮者・ホルスト・シュタインに似た狛犬や、白壁の奥深く、まだ何方も紹介したことがないと思われる青磁神殿狛犬が本殿前に棲息していました。
 案内には
 重要文化財:建造物 本殿
 県指定文化財:彫刻 木造阿弥陀如来坐像
 由緒:社伝によれば、本社は奈良末期〜平安初期に京都から下ってきた神官によって創建されたといわれ、末社、随身門、神宮寺を伴っていたといいます。永禄6年〜7年(1563)の三河一向一揆の際、焼失し、記録などが失われました。その後家康の命により、石川数正が再建にあたったと伝えられています。現在の本殿は元和5年(1619) 代官畔柳寿学が、伊勢の大工河北次郎兵衛定守に命じて再建したものであり、三間社流造、桧皮葺で古風な形式を残しています。
とあります。

表参道社号標 表参道入口
境内入口 拝殿
安政4年(1857)建立で、岡崎の石工さんが本格的に狛犬を彫り始めた時期に造られた狛犬です。
この狛犬を見た途端二人とも、その額の広さ、奥目、優しげな面差しなどから
世界的クラッシック指揮者・ホルスト・シュタインを思い出しました。
向かって右の阿には角があり、左の吽は宝珠を乗せています。
江戸狛犬では阿に角、吽に宝珠の組み合わせが多いのですが、
ここ岡崎では反対の組み合わせが主流のようです。
鬣は首の周囲で渦を巻き、尾は広く太く、先が背中から離れて立っています。
このどちらかというとおとなしめで優雅な狛犬が、どうしてあの厳ついしょうわ狛犬に変質していったのか
、理解に苦しむ所があります。
(安政4年(1857)8月建立)
三間社流造、桧皮葺で元和5年(1619)再建の国重要文化財の本殿
江戸時代前期の建造で古風な形式を残しています。
本殿前の青磁神殿狛犬
境内社・稲荷社・秋葉社入口 境内社・稲荷社・秋葉社弊拝殿
境内社・稲荷社社殿 境内社・秋葉社社殿
境内社・稲荷社社殿内にいた神使い・狐さん
境内社・土呂天神社
裏参道に建つ社号標 裏参道入口

狛犬の拡大写真はこちらで