晴明神社

岡崎市本町3(平成18年11月23日)

 この神社は県道56号線本町3丁目信号のすぐ北に鎮座していますが、地図に記載はありません。
 由来:平安朝の頃、天文博士・阿倍晴明が諸国漫遊のおり、この地に居を構え、陰陽術を伝えられました。ある日神夢により井戸を掘られ、霊水にて人々を救われました。その後旧居に晴明塚を築き、井戸を「晴明井」と称し保存してきました。
 寛政12年(1800)に材木町の安陪理八により神祠が建立され、五輪石の一部を納め晴明の霊を祀りました。天保3年(1832)、岡崎城下大火の時には全町が焼失しましたが、この社のみ残ったと伝えられています。天保6年(1835)社殿を再建し、明治11年日光稲荷、津島社と合祀しました。その後、一時戦時中には菅生神社に御神体を仮遷座しましたが、終戦後またこの地に遷座し本殿を建立しました。
 と案内にありますが、創建年代が違うだけで殆どそっくりな案内が、唐沢町の晴明神社にも書かれていました。岡崎市史に旧唐沢町は現在の本町通に町名変更され、現唐沢町は移転先ということなので、唐沢町が現在の位置に移転した際に晴明神社も分霊勧請されたと考えると、創建年代のずれも理解できるように思われます。

神社入口と周辺の様子
境内と社殿