謁播(あつわ)神社

岡崎市東阿知和町字北山39(平成18年11月23日)

 この神社は北岡崎駅の北東3km、矢作川の支流・青木川の北岸、阿知和町に鎮座していますが、地図に記載がありません。この日は丁度「新嘗祭」の日で、沢山の人々が境内の掃除をしたり、これから神事を行い、神楽「豊栄の舞」を奉納したりするそうで、忙しそうにされていました。
 案内板には
 祭神:知波夜命、春日大神
 由緒:この神社の由緒は大変古く神社創建の年代は詳らかではない。第五十五代文徳天皇(850〜858)の御代の文徳実録に、仁寿元年(851)謁播神社に位階従五位下を授くとあり、延喜5年(927)の延喜式神名帳にも、謁播神社の名が記されている延喜式内社である。
 九世紀半ばに編纂された先代旧事本紀(旧事本紀)の第十巻国造本紀に、「物部氏の祖出雲色大臣命の五世の孫の知波夜命が、物部氏を率いて国造として当地を治めた。」とあり、命が逝去された後村人はその徳を慕い、命の鎮魂報恩のため祠を建て、氏神として尊崇したのが由来のようである。
 神仏習合時代祭事は松林寺の社僧が行っていたが、明治維新以後神仏分離により現在に至っている。
 特殊神事:「雨乞神事」
 この神事は、旱魃に時雨乞いをして、境内の池の水を農耕作業姿の氏子が汲み干す神事であり、霊験あらたかで忽ち雨が降ったと言い伝えられている。この祭りは「大旱の祭」と呼ばれて、明治維新後も四回行われた。
とあります。

神社入口 社号標
「郷社 延喜式内 謁播神社」
入口右手前の樹には注連縄が張られていました。 神門
岡崎城から移築された物だそうです。
拝殿 本殿
奉納神楽「豊栄の舞」を踊る可愛い踊り手さんが、
最後の練習に励んでいました。
ご神木
神社前の青木川の土堤には、柿の原種が沢山の果実を付けていました。