星神社

名古屋市西区上小田井1-172 (平成24年4月28日)

東経136度53分03.35秒、北緯35度12分41.47秒に鎮座。

この神社は、庄内川の北側に広がる、庄内緑地公園の北側堤防のすぐ下に鎮座しております。名鉄犬山線・中小田井駅に近いこの辺りは、名古屋のベッドタウンといった感じで住宅が立ち並んでおります。

御祭神 大己貴命

由緒
仁和年中今ヨリ一千六十年前大江音人政盛アリテ大江五郎政輝トユウ今ノ五郎庄ノ切トユウハ五郎氏ノ邸宅ノアリシ所ナリト
弘安三年兵火起リテ当社悉ク焼失ス当神社衰微シ暦応四年ニ至リ右近中将藤原朝臣實秋之ヲ歎キ社殿回廊拝殿楼門ヲ新築シ礼奠ヲ起セシカバ祭典亦復興セリ社領四町八反神官社家両職有之信長公ノ御代マデアリシトカ然ルニ其後太閤殿下ノ御時残ラズ召シ取ラレタル由

創建年代は不明。延喜式神名帳に記された山田郡 坂庭神社であるとしている。なお、小牧市にある坂庭神社が神名帳のそれであり、その論社であるという説もある。仁和年間(885〜888年)にこの地の付近に住んでいた大江音人の子孫により社が建立されるなどしたが、戦火によって社殿とともに宝物や神器・神社の縁起について記した書物などを焼失。ただ、弘安3年(1280年)の棟札が現存しており、江戸時代の地誌『尾張志』には徳治2年(1307年)のものほか、暦応4年(1341年)12月に右近将藤原実秋によって造営が行なわれたとする棟札があったことが記されている。また、かつては4町8反(約4.76ヘクタール)の社領を持っていたが、豊臣秀吉の時代に召し上げられたという。
1872年(明治5年)に村社に列格、1907年(明治40年)指定村社となった。
ウィキペディア より

由緒書きを読んでも何故「星神社」と呼ばれているのか良く分かりません。しかし毎年八月七日に七夕祭が行われ、境内には青笹が立てられ、願い事を書いた短冊をつけると願いが叶うと言われています。

神社入口

社額

境内

ここが境内入口であるかのように注連柱、提灯架、蕃塀と続きます。

蕃塀

拝殿

拝殿内部

幣殿

拝殿裏、厳つい浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
こちらは剽軽な浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(明治5年(1872)壬申9月建立)

本殿


稲荷社

秋葉社 金刀比羅社