洲崎神社

名古屋市中区栄1-31-25 (平成24年4月29日)

東経136度53分45.15秒、北緯35度09分36.24秒に鎮座。

この神社は、名古屋駅の南東1km程の辺り、オフィスビルやマンションが林立する中に鎮座しております。現在では名古屋ど真ん中と言っても良い辺りなのですが。嘗ては神社名のように海辺であったようです。

御祭神 素盞鳴・五男三女神・稲田姫命
相殿 布都御魂・猿田彦命・石神・道祖神・天細(鈿?)女命

当神社は昔広井天王、牛頭天王社と呼ばれ西南海に面し、その洲崎に鎮座というこから社名となった。名古屋築城以前は栄一丁目全域が境内地であり堀内西八角堂前に広井天王御手洗の石柱があった。宝永六年(1709)藩主徳川綱誠卿より神輿が奉納され享保十六年(1731)名古屋の繁栄を願い藩主徳川宗春の命により盛大になり、堀川にわ桟敷をかけ当時の城下二大祭りとして非常な賑わいを明治初年迄続けられた。
境内由緒書き より

天王崎神社
祭神津島牛頭天王(左は稲荷、右は船玉神(住吉大明神なり)当社は鎮座久遠にして詳かならず。往古は大社なる由。相伝ふ、この地太古には東は鳴海のうら、西は粟殿のうらにして、ここに船をつけし湊にてありし故、天王崎と号せしとかや。中世は寿宝院といへる山伏も有りて、この宮をまもる。その頃は本地薬師仏有り。享保の頃は神幸はじまりて、新馬場に宿院あり。船祭有り、賑はしかりし。その時正親町家より神主永田氏へ詠歌を賜ふ。
祭り初むる八雲の神に八束穂の永田の稲をたえずそなえよ 従一位公通卿
「狂歌由縁墨」
ことし天王崎の御祭に御輿洗のはじまる事、かたじけなくも天聴に及びて、正親町風水軒白玉翁の、うけ賜はりとなり。一軸に、有がたき神秘をゆるし伝へ、狂歌をかかれたるを見て、
何事の神秘も我は白玉の御狂歌の風すいておもしろ

貞観年中(859〜)の創建といわれ、同社文書には、「洲崎神社は往昔出雲国稲田宮の神を移し祭りて洲崎の鎮たりと云」とある。明治以前は廣井天王、牛頭天王社、天王崎神社ともいい、昔は海に面した洲崎にご鎮座の社という。祭神は中央に須佐之男命、左に五男三女神、右は稲田姫命、のちに布都御魂命を合祀した。所蔵の和鏡は、市指定文化財である。
名古屋市教育委員会

嘗ての変遷を物語っていると思われます。

社頭

一の鳥居

入口左右の浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和31年(1956)10月吉日建立)

参道

手水舎

参道と二の鳥居

参道

拝殿

拝殿内部

拝殿奥にお住いの金属製と思われる神殿狛犬

最初よりこの地にあったといわれる、石神様

白龍龍寿大神
絵馬

脇参道入口

尾張名所図会に描かれる天王御手洗の賑わい。