那古野(なごや)神社

名古屋市中区丸の内2-3-17 (平成24年4月28日)

東経136度54分09.75秒、北緯35度10分27.09秒に鎮座。

この神社は、名古屋城の南1km程の辺り、正に名古屋のど真ん中と言っても良い辺りに鎮座しております。周りは勿論ビルが立ち並ぶオフィス街と言った雰囲気ですが、境内は緑も良く残され、狭いながらも都会のオアシスと言った感じの落ち着いた神社と」なっております。

御祭神 須佐之男神・奇稲田姫神・兵主神・八柱神

延喜十一年(911)の創建といわれ、素盞鳴尊を祭神とする。もとは天王社又は亀尾天王社ともいい、城内三の丸にあった。慶長十五年(1610)名古屋城築城の際、徳川家康が御神籤でもって神意を伺ったところ、遷座不可と出たため、そのまま城内に留まり城の鎮護、名古屋の氏神として祀られた。明治九年(1876)現在地に移され、明治三十二年那古野神社と改称された。・・・・・・・
名古屋市教育委員会 原文はこちら。

由緒
創建は醍醐天皇の御代、延喜11年(911年)と伝わる。津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ、現在の津島神社)を総本社とする天王社のひとつで、当初は亀尾天王社と呼ばれた。天文元年(1532年)の合戦で社殿を焼失したが、天文8年(1540年)織田信秀により再建された。創建時より若宮八幡社と隣接していたが、慶長15年(1610年)の名古屋城築城の際に、当神社のみ三の丸の郭内に取り込まれ、若宮八幡社は城外に遷座した。これより、三之丸天王社とも呼ばれ、城の総鎮守、城下町の氏神とされた。またこの時、新たに三之丸東照宮(現・名古屋東照宮)と隣接している。
明治維新時に須佐之男神社と改称し、明治9年(1876年)名古屋鎮台が城内に置かれたのを機に、東照宮とともに旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座、明治32年(1899年)に那古野神社と改称した。
ウィキペディア より

神社入口

参道。この後右に90度曲がり社殿となります。

境内

参道途中、堂々とした浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(明治22年(1889)2月建立)

拝殿

威張っている招魂社系狛犬。
(昭和30年(1955)3月吉日建立)

拝殿内部

本殿


福壽稲荷社
稲荷社を護る、初期岡崎型狛犬。
日神社 月神社
白山社 弥五郎社
青麻社
絵馬