日置神社

名古屋市中区橘1-3-21 (平成24年4月27日)

東経136度54分8.98秒、北緯35度9分7.49秒に鎮座。

この神社は、金山駅の北1.5km程の辺り、名古屋駅にも近く、名古屋市の中心と言っても良いかと思われます。戦前航空機産業が多くあったこの名古屋は、米軍の空襲で焼け野原になったと思っていましたが、境内には樹齢を重ねた大木も多く、被害は免れたのでしょうか。静かな落ち着いた雰囲気となっております。

平安時代初期の宮中の年中行事や制度を記した「延喜式」に載る「愛智郡日置神社」にあたるとされる格式の高い神社で、天太玉命、応~天皇などを祭神とする。日置の地名、社名は、日置部のあったところから起こったもので、日置部は暦を司った。
永禄三年(1560)五月織田信長が桶狭間の戦いに出陣するとき、戦勝を祈願し、戦勝のお礼に松を千本植えたと伝える由緒ある古社である。
名古屋市教育委員会 その他、日置神社碑等もこちら。

祭神 天太玉命(あめのふとだまのみこと)
    配祀左:品陀和気命(ほむだわけのみこと)
    配祀右:天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)

由緒
創建は不詳。延喜式の「尾張国愛智郡日置神社」にあたる。社名は暦を司る日置部に由来する。中世、山城国男山より八幡大神を勧請して合祀(京都東山五条北の若宮八幡宮とも)。明治42年10月、隣接の村社神明社を合併、配祀する。
永禄3年5月、織田信長が桶狭間へ出陣の途次に本神社へ祈誓、戦勝後に報賽のため神域に松樹千本を植える。これより千本松日置八幡宮と呼ばれる。
明治維新の際、社号を復旧し日置神社とする。明治4年郷社に昇格。同40年12月26日、神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和20年3月、戦災を受ける。同33年社殿復興造営完成。
ウィキペディア より

神社入口

鳥居

境内

拝殿

拝殿前の招魂社系狛犬
(昭和34年(1959)4月10日建立)

社額

拝殿内部

本殿


西参道入口

西参道を守る浪速?狛犬。拡大写真はこちら。
(明治40年(1907)1月建立)

参道


秋葉社・熱田社・津島社 尾張徳川家二代藩主瑞龍院殿光友公を祀る橘社

大黒恵比須社

廣富稲荷社
日置龍神社
不明

御神木タブの木

力石