鹽竈神社

名古屋市中川区西日置1-7-10 (平成24年4月29日)

東経136度53分33.27秒、北緯35度09分15.17秒に鎮座。

この神社は、名鉄本線・山王駅の北800m程の辺り、西日置商店街の一角に鎮座しております。名古屋の中心部と言ってもよい地域であうが市の保存樹もあり、豊かなとまでは言えないまでも、それなりの残されており、都会地では貴重な緑となっております。

御祭神 塩土老翁(しおずちおじの)命・武甕槌(たけみかづち)命・経津主(ふつぬし)命

由緒
当神社は名古屋城、築城の折り武将、岩田藤忠公がお城無事完成を祈願の為、奥州國(現宮城県塩釜市)より鹽竈大神を当地に向かえられました。
武将の信仰が非常び篤く社殿等の改修など多々にわたります。現在、祈祷者用手水に使用している手水石は堀川の開削工事を進めた福島左衛門大夫正則(福島正則)奉納の物で名古屋城城壁の石をひょうたん型に掘った物です。天保六年(1835)に西日置の現在地に遷座され現在に至っております。
境内由緒書き より

一の鳥居と社号標

保存樹の楠と鹽竈(飯を炊く釜のように見えます。竈は「かまど」なのだが)

入口左右の岡崎型狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和9年(1934)10月建立)

蕃塀

境内

拝殿

拝殿前の浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和3年(1928)10月建立)

社額

本殿


秋葉社・神明社・津島社

無三殿社
由来
江川・笈瀬川の合流地。無三殿いり辺りの江川、清澄にして深からずといえども古来、霊鼈(亀または河童の意)のすむところなりと称し、畏敬して汚す者なし。樋辺一巨石あり、無三殿主神と刻す。昭和九年塩竈社へ移され今日に至る。
根抜き(痔)の神様
昔からむさんど・山王橋の西北角の橋上から着物のすそを端折ってお尻を堀川に映すと、痔の悪い人は川神様が治してくれると言い伝えがあります。
胡瓜、西瓜をお供えしお願いすると霊現あらかたなりと言われています。
商売の神様
河童は客の足をひくと言われ、商売の神様。
水神様は魚貝類の商いの神様であり、特に水商売の守護神です。
子供の神様
夏の暑い盛りには、堀川の土手で子供達と水遊びや甲羅干しをして一緒に遊んだといい伝えあり。水泳上達、子供達の守護神様です。

無三殿神石之由来
無三殿杁江ハ往時尾張名勝ノ一ニシテ堀川ノ西日置古渡ノ境ニ在リタリ、当時江川笈瀬川ノ用水路アリテ此ノ所ニ會セリ、然レドモ水位高低甚ダシキヲ以テ合流スル能ハズ。仍チ樋ヲ笈瀬川ノ上ニ架シテ江川ヲ南流セシメ、笈瀬川ハ樋下ヲ東流ノ河口ノ水門ヲ通キテ堀川ニ通セリ。今ノ松重町南端一帯ノ地ハ、即チ此ヲ流域ニシテ里人無三殿ト呼ビタル杁江タリシ所ナリ。延寶ノ頃松平康久入道、無三此ノ江北ノ地ニ住セリ。江名之ヨリ起ルト江川清澄ニシテ深カラズト雖、古来霊鼈ノ潜ム所ナリト稱ノ畏敬シテ瀆之者ナシ。樋邊一巨石アリ、無三殿主神ト刻ス。痔疾ニ霊験著シト病者頻リニ来リテ治癒ヲ祈リ捧グルニ白餅ヲ以テシ、或ハ之ヲ水中ニ投ズルノ風アリ、遠近相傳ヘテ其ノ名大仁著ハル。星霜巒轉神石影ヲ没スルコト多年、偶江川改修工事ノ際、霊夢ヲ得タル者アリ。乃チ発掘シテ之ヲ水底ヨリ求メ得タリ。暫ク町神トシ近隣ニ奉祀セシガ神慮ヲ畏レ、当塩竈ノ社頭ニ遷祀シタルモノヨリ(ナリ?)。今歳昭和申戌當神社社殿造営ノ擧アリ。規模大イナルコト前古ニ此ナシ。記念トシテ碑ヲ神石ノ側ニ建テ、由来ヲ記シテ不朽ニ傳スルモノナリ。
境内由緒書き より
白光龍神

塩玉稲荷社

靖霊社
絵馬