名古屋市守山区市場16-35 (平成24年4月28日)
東経136度57分16.84秒、北緯35度11分38.77秒に鎮座。
この神社は、矢田川橋緑地の北側、守山台地の西端にある前方後円墳の上に鎮座しております。名古屋市内で最も古い大型古墳のひとつであるようで、緑地保全地区にも指定されている境内には巨木が茂り、市内である事をじばし忘れるほど、落ち着いた雰囲気となっております。
縁起
守山は昔森山と書いたが慶長の頃より守山と書くようになったと云われる。
白山社は菊理媛命を御祭神とし元正天皇の養老年間加賀の国より勧請すと伝えられ前方後円の上古の古墳上に鎮座まします。
慶長年間の大洪水、寛文二年五月の大地震に大被害を受け一時衰退したが小幡領主山田次郎重忠が中興し後大永寺領主岡田伊勢守、松平清康が再興し更に弘治元年三月守山城主織田信次が社殿を建立するなどこれ等武将の崇敬が厚かった。
往古三年の旱魃があり守山を始め大永寺、金屋坊、大森、垣外、牛牧、小幡の六ヶ村の村民が集り十七日の雨乞いを立願したところ満願の日豪雨沛然と降り霊験あらたかであった。村民一同その御神徳にいたく感激し尓来六ヶ村の総氏神として崇敬せられた。
大正元年九月二十九日祭神九柱が合祀せられ昭和十九年十一月二十二日郷社に昇格せられた。以下省略
守山白山古墳
守山台地の西端に立地する、墳丘長約98m、後円部径約50m、前方部幅約35mの前方後円墳。
未調査のため埋葬部の構造や副葬品は不明であるが、前方部の低い墳形や出土している埴輪の検討から、古墳時代前期(4〜5世紀)の築造と考えられる。
上志段味の白鳥塚古墳に匹敵する市内で最も古い大型古墳のひとつである。
名古屋市教育委員会 縁起等原文はこちら。
参道入口
参道
境内入口
境内
拝殿
石段左右の浪速狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(大正4年(1915)乙卯10月建立) |
本殿
天王社 | 浅間神社 |
山神 | 不明 |
御神木