片山八幡神社

名古屋市東区徳川2-13-26 (平成24年4月28日)

東経136度55分56.48秒、北緯35度10分59.84秒に鎮座。

この神社は、名鉄瀬戸線・森下駅の南200m程の辺り、市内の住宅地に鎮座しております。街中らしく明るく開けた感じの神社となっております。

御祭神 天照皇大神・誉田別尊(応神天皇)・菊理媛神祭神

当神社は第二十六代継體天皇の御代尾張国山田郡片山郷即ち現在の地に鎮座したと云う。元亀天正の頃、続く戦国時代の災禍を受けて、甚だしく頽廃したが祭事の鄭重を守り、一時熱田神宮に預けられる。江戸徳川の太平となりて、元禄八年尾張家第二代光友卿の深き御敬神の念によりて、社殿以下荘厳なる造営を遊ばされ徳川源家の氏神と思召され名古屋市中鬼門除けのお社として崇められ篤く信仰される。・・・・・
境内由緒書き より

社伝によれば、第二十六代継體天皇の五年、紀元一千一百七十一年、尾張国山田郡片山郷即ち現在の地に御鎮座になったと云う。(旧社名を『大曽根八幡社』と云う。大曽根の地名の源なり。)
室町時代中期においては押領地を有して本地御堂が備わっていたが、後の戦国の世において、度々兵火に遭った上、天正十二年小牧役の戦禍には多くの文献をも焼失し爾来甚だしく荒廃したと伝えられている。尚、一時は熱田神宮にお預けとなり大原与三大夫と申す方がお守役になったこともあります。
その後江戸徳川の太平の世となり、元禄年中尾張二代藩主徳川光友卿が偶々この地を過ぎし時、森厳なる社地を御覧になり、その荒廃を嘆かれ直ちに東照宮の神主であった吉見民部大輔と其の嫡子左京大夫に命じて社殿以下荘厳なる御造営をせしめ、元禄八年十一月その落成を待って御遷宮の祭儀が行われました。 又、境内にお祀りしてありました天照皇大神、菊理媛神の二神も御同殿に合祀されました。
御造営に於いては、江戸高田穴八幡の御宮に模し、瑞龍公(光友卿別称)の親しく御封を遊ばされたもので、今日に至るもそのままであります。さらに、山田即斎を使わして同穴八幡の神楽拍子を習得せしめて、之を社職慶徳源之亟直矩に伝えしめた。
その後、徳川家にては当八幡社を氏神と思召されて年内4度ずつ国内繁栄、五穀豊穣、武運長久の御祈願並びに名古屋市中鬼門除けの御祈祷を勤しむべきと仰付けられ、毎年十月の御神事には御代拝を差向けられ徳川家のお祓いも年三回申上げておりました。・・・
片山八幡神社公式サイト より

ここより1km程西、芳野に片山神社があり、創建は和銅二年(709)、式内社となっております。当社は継体天皇五年(490頃)の創建ですが、式内社ではないようです。おそらく国学が隆盛する、江戸時代後期、当社は尾張徳川家の氏神として隆盛を極めており、式内社等無関心であった為かと想像します。

神社入口

鳥居と社号標
境内入口の浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和15年(1940)8月建立)

境内

拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬
(昭和8年(1933)12月建立)

拝殿内部

本殿


境内裏手の末社群

末社群を護る浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(明治23年(1890)12月建立)

宗像社・秋葉社・津島社・青麻社・金刀比羅社・愛宕社

谷龍神社は、旧来「姫子龍神社」と称し、徳川別邸内に鎮座されたが、大正十二年当地に遷祀した社で、御祭神は「闇淤加美神」で谷に棲む龍神であると言われ、諸病平癒の霊験と諸願繁栄の縁起を徳としている。

御嶽神社遥拝所


東側参道入口

東側参道入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治43年(1910)12月建立)