冨士神社

名古屋市東区東桜1-4-12 (平成24年4月29日)

東経136度54分55.53秒、北緯35度10分13.74秒に鎮座。

この神社は、桜通線・高岳駅の西300m程の辺り、マンションやオフィスビルの林立する中に鎮座しております。ビルの谷間のような境内ですが、参道は緑で囲まれ神域らしい雰囲気となっております。しかし、関東で富士を冠した神社であれば、必ず富士塚があります。富士から遠いこの名古屋では富士講は無かったのでしょうか。嘗て冨士塚権現とも呼ばれていたようですが、富士塚は近年になり開発により取り壊されたのでしょうか。

御祭神 木花咲耶姫命

由緒記
当社は人皇九十九代後小松天皇の御代應永五年六月、この地の郷士前山源大夫なる人、駿河の国大宮(現静岡県富士宮市)の冨士本宮浅間神社へ参詣し其の御分霊を勧請し此の地に奉祀せられたるを創始となす。
その頃この地は山口の前山と称し、地域は四町四方並に外山を加え宏大にして老松杉等繁茂幽寂なる神苑は参拝者の心身に自ら清浄感を抱かす近郷稀に見る霊地であった。
偶、正親町天皇の御宇天正十年七月一日には徳川家康公の参詣された事が旧記にある。
御祭神は縁結び安産及鎮火の神として崇敬者多く大祭は毎年五月十一日に執行せらる。

冨士神社と築城石
冨士神社は、もと冨士浅間宮、冨士権現社又は冨士塚権現とも呼ばれ、木花咲耶姫命を祭神とする。昔は社地六十間四方(尾張志は二町又は四町四方とも伝える)と、ほかに控地を有し、うっそうとした森に囲まれていたといわれる。
名古屋城築城の際、浅野幸長が社域に普請小屋を設けたため、社は幅下(西区浅間町)に遷された。その後再びこの地に社殿を建てて冨士浅間宮を祀った。
境内には今も□の紋様が刻まれた築城石の残石がある。
名古屋市教育委員会

境内由緒書き等はこちら。

社頭

一の鳥居と社号標

二の鳥居

参道と三の鳥居

参道と狛犬

参道途中の浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(明治39年(1906)6月建立)
二番目の岡崎型狛犬
(昭和3年(1928)11月建立)

拝殿

本殿


稲荷神社

白龍社

名古屋城石垣残石の由来
此の地、往昔、山口の前山と呼ばれ、老杉古松四方に繁り、四季に春鶯秋虫の音が、玉とひびき神威を感じさせる霊域であった。慶長十五年名古屋城築城に当り、この地に、普請小屋が設けられたため、この社は幅下に移された。
この度この造苑を成すに際し巨大石数多出土し、中の一つに□あるものを発見し、ここに利用することになった。名古屋城石垣の残石であり、当地が築城の普請小屋の一つであったことを証明することとなった。
冨士神社

保存樹イチョウ