酒見(さかみ)神社

一宮市今伊勢町本神戸宮山1476-1 (平成24年4月28日)

東経136度47分53.48秒、北緯35度18分45.31秒に鎮座。

この神社は、尾張一宮駅の北1.5km程の辺り、一宮の市街地に鎮座しております。街中ではありますが、緑が続く参道と、杜に囲まれた社殿の落ち着いた雰囲気の神社となっております。清酒発祥の地であり、酒弥豆男命、酒弥豆女命と言うお酒の神様を祀るこの神社にいつもよりも一層熱心に祈る私でありました。

祭神「天照皇大御神、倭姫命、酒弥豆男命、酒弥豆女命

酒見神社
(倭姫命十五番目御聖跡)由緒
第十一代垂仁天皇の王女倭姫命が伊勢の地を求めて旅される途中、垂仁天皇の十四年(646)六月一日当村に渡来された際、村民の奉仕により社が建設せられたのが酒見神社の始めでありできあがった社は総丸柱で草屋根にて高く後世に吹抜きの宮と呼ばれたと言います。
現在に伝えるのが本殿裏に祀る倭姫神社であります。
第五十五代文徳天皇斎衛三年九月(1514)当村は上質の米が取れる事から遣唐使でもあったと言われる大邑刀自(おおむらとじ)、小邑刀自(こむらとじ)二人の酒造師が皇太神宮より大酒甕二個を携帯され当宮山に遣わされ伊勢の翌年の祭に供える酒を造らしめ給うた、と文徳録にあります、当時どぶ酒等は各地で醸造されたいましたが、清酒の醸造は酒見が最初とあり、酒見神は清酒醸造の元祖の神社といえ事になります。
第七十一代後三条天皇延久元年(1729)伊勢内宮より式典等に明るき神宮神主の伊勢守良明に神宮神主と兼任の体にて二百石を与え、従来の本神戸、新神戸、新加神戸に馬寄を合わせて今伊勢の庄の名を賜り、以来九百年間、平安時代より明治時代を通じて代々世襲をもって尾張今伊勢の庄神戸神主たりと定められたのです。
境内由緒書き より

酒見神社(さかみじんじゃ)は、愛知県一宮市にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。倭姫命が滞在した「中嶋宮」の跡とされ、元伊勢の一つとなっている。天照皇大御神のほか、酒造の神である酒弥豆男神・酒弥豆女神を祀る。本殿の裏に倭姫社があり、倭姫命が祀られている。
倭姫命が滞在した「中嶋宮」の跡とされ、元伊勢の一つとなっている。天照大神の御霊代を祀る地を求めて旅をしていた倭姫命は、垂仁天皇14年、美濃国伊久良河宮(現岐阜県瑞穂市居倉天神神社と伝えられる)から尾張の神戸であった当地しばらく滞在し、神体を宮山に祀った。その後、地元の人々によって社殿が作られたのが当社の始まりであると伝える。社伝によれば、その時の社殿は全て丸い柱で造られ、草葺きの屋根で吹き抜けであったという。斉衡3年(856年)、文徳天皇の勅命により伊勢神宮から、大邑刃自・小邑刃自の2名の酒造師がこの地に派遣され、伊勢神宮にお供えする御神酒を造ったと伝えられる。このことから、清酒の醸造が最初に行われた所といわれている。「酒見」の社名もこれに因むものである。
ウィキペディア より

参道入口

一の鳥居と社号標

参道

境内

蕃塀

二の鳥居

拝殿と狛犬

手前の岡崎型狛犬
(昭和40年(1965)8月吉日建立)
後の浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(明治38,9年(1905)建立)

拝殿内部

本殿

本殿裏の浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(文久2年(1862)9月建立)

皇大神宮遥拝所。社殿も北向きで自然に伊勢神宮に向って手を合わせます。最初はここから始まったのかも知れません。

石槽(いわふね)
上古皇大神宮に進貢の神酒を醸したる器なり。尚本殿裏地中に白酒黒酒に用いたる大斎甕二個現存す。

天王社 熊野権現社

水神社

栄水の井(さかみのいど)
禁足の聖地に古泉あり栄水の井と伝ふ。上古神戸の民清泉の浄水を汲みて白酒黒酒を作り皇大神宮へ進貢せしならむ。
中世以降代々の神主清泉に神饌を清め残るを浴びて禊ぎをし除厄招福を祈願せしに瑞兆度々現れたりと古伝にあり。
世界第2次大戦時に酒見神社の社殿全焼したるも栄水の井の霊異の守護により井中に御動座の大神の御神体は安泰にましましき。
栄水の井の霊水を身に注ぎかけ邪念を祓ひて除厄招福を祈願せば無病息災・延命長寿・家内安全・商売繁昌に霊験あらたかなるべし。
茲に霊泉を聊か改組して広く世人に開放する。

社務所

鏡の説明

東側参道