知多郡武豊町川脇6(平成21年11月22日)
東経136度55分37.32秒、北緯34度50分43.92秒に鎮座。
この神社は247号線・武豊川脇信号西に鎮座しています。道路を挟んで東側には明治11年、長尾村と大足村二か村が合併する時に、それぞれの村の産土神である武雄神社と豊石神社の頭文字をとって武豊村となったと言う、現町名の由来ともなった豊石神社が鎮座しています。
道路際には大きな台座に乗った素敵なお狐様がいて、稲荷社らしい朱の鳥居が目立っています。私達は余り稲荷神社には参拝しない方なのですが、この社は入口のお狐様が優しそうだったので、ついフラフラと参拝させていただく気になってしまいました。
参道は工事中で入れないので、左側の道路から直に境内に入りました。境内には酒樽がこれでもか…というほど奉納され、この社の御神徳の大きさを感じさせています。拝殿は境内奥右側に、横向きに建てられています。参拝を終えてから何気なく呼ばれるような感じで拝殿内を覗くと、暗がりの中にボォーッと白狐様のお姿が見えるではありませんか、駄目で元々…とシャッターを押しましたが、この白狐様、宝珠を捧げ持つ姿がバレーボールの選手の様です。世の中変わったことを考えつく人が居るのですね〜。なんだかとっても得した気分で、「たまには変わったことをしてみるのも良いものだ。」と思いました。
境内には境内社も三社ほど祀られており、又、境内から西に出た感じの所に奥の院が祀られ、そこにも可愛いお狐様がいました。
稲荷神社としては比較的規模の大きな、そして佇まいが落ち着いた神社でした。
御祭神:倉稻魂命
祭礼日:正月稲荷大祭・2月第一土・日曜日、講社大祭・9月第一日曜日、霜月大祭・12月第一土・日曜日
境内社:多賀社、山神社、堀田天神社
由緒:天文5年(1536)創建と伝えられ、延享3年(1746)の棟札には稲荷明神、嘉永3年(1850)には堀田稲荷大明神と書かれているので、江戸時代中頃以降から現字名川脇の旧称堀田を用いたものと思われます。
もともと稲荷は農耕の神ですが、江戸時代には商売繁盛、渡海安全、豊漁の守護神としても信仰され、対岸の三河や遠く美濃からも参拝者が多かったそうです。
社頭 |
参道入口鳥居前にいる大正3年生まれのお狐様 阿は巻物を咥え、吽は宝珠を手にしています。関東のものより穏やかな感じが良いですね。 お狐様の拡大写真はこちらで |
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(大正3年(1914)10月建立) |
入口の鳥居と社号標 ただ今工事中でここからは入れません。 |
工事中の参道の様子 |
境内の様子 拝殿は境内奥右側に、横向きに建てられています。 |
拝殿 | |
拝殿内の様子 | |
本殿前にいる白狐様 阿吽共に宝珠を捧げ持っているのですが、掌を上にして玉を扱っている姿は、どう見てもバレーボールの選手がトスをしている様に見えます。又、この時は拝殿内が薄暗く、このお狐様だけしか見えなかったのですが、写真を拡大してみると本殿縁にも、もう一対居られるようです。 |
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本殿 | |
境内社:多賀社 | |
境内社:山神社 | |
境内社:堀田天神社(兼絵馬堂) 「算額」と案内拡大写真はこちらで |
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奥の院拝所 境内から一旦出るような形で奥の院が社殿西側に祀られています。 |
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奥の院の祠とお狐様 | |
奥の院のお狐様 | |
神楽殿 | 土俵 |