知里付(ちりゅう)神社

知多郡武豊町東大高池田34(平成21年11月22日)

東経136度55分14.44秒、北緯34度49分58.74秒に鎮座。

 この神社は名鉄河和線・富貴駅の北約800mに鎮座しています。参道入口に立つ社号標から境内までは約120m、桜並木の紅葉が真っ盛りでとても綺麗でした。境内入口にも鳥居と社号標が立ち、正面に入母屋造りの拝殿と流造りの本殿が建立されています。境内に入って直ぐ左にはこんな所にも…と思われる「浦島神社」が祀られ、社殿左側には秋葉神社、熊野神社、山神社、稲荷社、春日社、津島社、神明社、八幡社等の境内社が整然と祀られています。
 この地には「浦島太郎伝説」が残され、地名にも数多くの縁の名前が付けられているそうです。伝承によると、浦島太郎が故郷に帰ったのが天長2年(825)、このお社には浦島太郎の玉手箱が社宝として残され、富貴の南の海岸・四海波は波の形が変わっているので、昔の人は竜宮城の入口だと言っていたそうです。現在でも竜宮という地名が残されています。浜辺は「呻きの浜」といい、浦島太郎が玉手箱を開けたため、白髪の老人になってしまったので、悔しくて呻いた所だといわれているそうです。随分具体的な伝承で、信憑性があるような気持ちにさせられますね〜。

 御祭神:少彦名命、菅原天神
 祭礼日:4月第一土曜・日曜
 境内社:浦島神社、秋葉神社、熊野神社、山神社、稲荷社、春日社、津島社、神明社、八幡社
 由緒:紀元前4年(垂仁天皇26年)に少彦名命を祀って創建され、天暦9年(995)に北野天満天神を相殿として合祀したと伝えられています。
 この後、亀山天皇によって従一位の神階が送られ、屋根瓦の紋は菊花、棟瓦は亀が作られ、昭和18年(1943)に郷社に列せられています。
 この神社の宝物「あずけの箱」は浦島太郎が、竜宮から持ち帰ってきたものと伝えられ、滅多なことでは開けられない為、中身は不明だということです。
 明治時代の干魃の年、宮司さんがこの箱を浦之島の沖に舟で運び出し、祈祷を捧げ箱の蓋を払うと、遥か彼方に雨雲が浮かんで大雨が降ったといわれています。

 

参道入口 参道入口に立つ社号標
社頭
境内入口に立つ明神鳥居 境内入口の社号標
遥拝所 手水舎
境内の様子
拝殿
流造りの本殿
境内社:浦島神社
境内社:秋葉神社
境内社:熊野神社
境内社:左から
山神社、稲荷社、春日社、津島社
境内社:左から
神明社、八幡社