桜井神社

安城市桜井町桜林17(平成21年11月23日)

東経137度5分54.53秒、北緯34度55分14.19秒に鎮座。

 この神社は桜林小学校の直ぐ北西に鎮座しています。表参道入口に建つ一の鳥居から三の鳥居まで、300m弱の長い参道両脇には市指定天然記念物のクロマツの見事な松並木が続きます。昭和30ねんの伊勢湾台風による被害でやや淋しい状態になってしまったと案内板に書かれていますが、まだまだ松の巨樹は健在で、「風光明媚」の形容がピッタリの景観を見せています
 境内入口には三の鳥居が建ち、拝殿までの参道脇には神楽殿が建っています。石段を上がると正面に唐破風付き屋根を持つ拝殿が建ち、その後ろの塀内に市指定建造物・本殿が茅葺きの屋根を見せていますが、そろそろ葺き替えの時期が来ているのか、所々に青いシートが被されていました。
 拝殿前には楽しそうな狛犬が居て、境内社の御鍬神社も祀られています。
 しっとりと落ち着いた素敵な神社でした。

 御祭神:伊弉諾神、伊弉册神、菊理媛神、火産霊、天照皇大神、倭姫尊、火之迦具土神、應神天皇、八幡大神、菅原道眞
 祭礼日:11月3日
 境内社:御鍬社
 由緒:往古より桜井郷の産土神として尊崇篤く神威熾にして、国内神名帳に載せられし従五位桜井天神と稱し奉り、武家の崇敬篤く鎌倉時代に於て三河守護吉良氏より三百貫の社地寄進が為されたと伝えられ、桜井城主松平親房は大永7年(1527)自ら願主となりて社殿の造営を行いました。
 当時は神明社と称されていましたが、慶長15年(1610)家康の命により本殿の修築が行われ、社号も白山社と改称されついで19年改めて五十石の社領の寄進が行われ、三河三白山社として、歴代徳川家の崇敬を受けてきました。寛永年間に社号も桜井権現と改称され後正一位桜井大権現と奉称されてきましたが、明治5年額田県令に依り郷社桜井神社と称し、由緒深き故を以て昭和7年県社に昇格され、古くより旧碧海、幡豆の二郡に亘って氏子村も三十有七ヶ村に及び、近郷の大社として崇敬誠に浅からぬものがありました。
 大祭は元陰暦9月16日とされていましたが明治より10月16日に改められ、近年11月3日に定められている。往昔徳川家康によって奉納されし流鏑馬の神事につゞき花馬、額、山車、打囃子、獅子舞、棒ノ手、角力、花火の奉納が盛大に行われ、わが故里の鎮守の神としてとこしえにいつきまつる。

表参道入口 社号標
「縣社桜井神社」

一の鳥居から三の鳥居までの300m弱の長い参道両脇はクロマツの見事な松並木が続きます。
社頭
三の鳥居
参道の様子
神楽殿 参道脇に建つ社号標
「郷社桜井神社」
社殿の建つ上の境内入口
拝殿前、大正9年生まれの楽しそうな狛犬
(大正9年(1920)10月建立)
豪華な唐破風付き屋根を持つ拝殿

市指定建造物・本殿
神饌殿? 境内社:御鍬社