明治川神社

安城市東栄町柳原9 (平成21年11月22日)

東経137度6分12.16秒、北緯34度58分59.13秒に鎮座。

 この神社は76号線・明治川神社信号角に鎮座しています。北参道入口から境内までは凡そ150m、途中には鶏が放し飼いになっていたり、唐破風が付いた趣ある社務所が建っていたりと、変化に富んだ散策が味わえました。
 境内の入口には明治用水を引き入れた神池が作られ、この池にかけられた神橋を渡って境内に入ります。境内正面には拝殿と周囲を回廊で囲まれた中に本殿が建立され、何故かとても凜とした空気が感じられました。
 社殿左側には上倉池の開拓や北野用水、鹿乗川の開さく改修に功労のあった人達が神として祀られる伊佐雄社が鎮座しています。
 又拝殿前には名石工として名高い酒井孫兵衛によって作られた岡崎狛犬がいました。

 御祭神:大水上祖神、水分神、高龗神、都築弥厚命、伊豫田与八郎命、岡本兵松命、西沢真蔵命
 祭礼日:4月18日
 境内社:伊佐雄社
 由緒:文化5年(1808)頃、都築弥厚翁が碧海台地の開発を計画されてより、七十余年の歳月を経た明治13年(1880)4月18日、松方正義内務卿参列のもとに用水路竣工の式(水源)と、祝賀の宴(現地)が盛大に挙行された。その時の一同の歓喜と感激とがここに結集して神社を創立することとなった。即ち、長年用水の欠乏をかこち農村の疲弊に泣いたのが、用水路の開通によつて一大飛躍を見るに至ったので、水に由縁の深い神、三柱を同年12月現今の境内地に勧請し奉った。
 その後、明治17年10月社号を明治川神社とし、翌年1月本社の公認を申請、同年4月1日無格社として認可を得同年10月10日本社が落成した。
 明治42年8月無格社より郷社に列格、翌43年4月供進神社に指定された。
 大正4年11月都築弥厚大人が合祀され、つづいて昭和17年5月伊豫田与八郎命、昭和26年5月岡本兵松命がそれぞれ伊佐雄社より、又、昭和31年3月西沢真蔵大人「枝下用水」が共に合祀されて用水の守護神として厚く奉斎を受け給うのである。
 昭和28年1月30日宗教法人となり現在の神社等級は四級社である。

「社記」はこちらで

社頭
北参道入口に建つ伊勢鳥居 社号標
北参道入口から境内までは凡そ150m、途中には鶏が放し飼いになっていたり、唐破風が付いた趣ある社務所が建っていたりと変化に富んだ散策が味わえます。
境内入口 神池に架かる石の神橋
神池
水中のモニュメントは笠をかぶって田植えをしている姿をデザインして設置されました。
境内の様子
拝殿前、建立年代は不明ですが、名石工・酒井孫兵衛によって作られた岡崎狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(酒井孫兵衛作之)
拝殿と回廊
拝殿 拝殿正面にかけられた稲穂
長廊下と本殿
境内社:伊佐雄社
御祭神は田中勘七郎命、本多寛三郎命、加藤太兵衛命、黒宮許三郎命、中根祐命、木藤八三郎命、黒川治愿命、本多又左衛門命(北野用水)、小原権太夫命(北野用水)、天野金右衛門命(鹿乗川)、加藤吉右衛門命(鹿乗川)
この社は「功」つまり功労者を奉祀する神社で、もとは、明治14年上倉池の小島の上に発起者並に出資者を奉祀し、開拓小作のため移住した人々と共に鎮守の神として崇敬の誠を捧げていましたが、この上倉池も開拓し盡されたので、明治18年明治川神社の公認認可を機会に現在の地に遷座しました。特筆すべきは、関係者が何れも存命中に神として奉祀せられた所謂「生祠」であることです。
なお、昭和47年8月鹿乗川沿岸用排水土地改良区が明治用水土地改良区に合併したため、北野用水、鹿乗川の開さく改修に功労のあった各二柱が翌48年10月合祀されました。
 
伊佐雄社を護る大正9年生まれの岡崎狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正9年(1920)1月建立)
神楽殿
拝殿前から入口を振り返る
御神木
「明治用水」碑 東参道入口に立つ伊勢鳥居